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土本典昭フィルモグラフィ展2004実行委員会
実行委員長 黒木和雄(映画監督) |
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ひさしぶりに『不知火海』をみた。感動した。月ノ浦、坪谷の鼻で原田正純先生と対話する少女と水俣市茂道の主婦のシーンがとりわけ心にしみた。三十年前の記録が、少しも色褪せず私を圧倒した。それはたぐいまれな親和力とでもいうべき土本典昭のドキュメンタリーがもつ発露である。美しい不知火海を有機水銀汚染させたものへの憤怒、ひき裂かれ崩壊しようとする患者とその家族たちへの愛惜、映画作家土本典昭の魂のなかでアンビバレントにそれがはげしくぶつかりあい、しだいに昇華され浄化されていく。跋扈してはばからない作者の内部の魑魅魍魎を、血のにじむような渾身こめた作業のすえにその輪郭を顕わにさせていく。おだやかな水俣の海辺を背景に、自分の頭を手術したいという患児・清子さん、海と魚に交感して水俣病の痛みに耐えようとする杉本榮子さんの姿に、まさにドキュメンタリーならではの惨苦を救抜しようとする真実の投影をみる。それは生得ともいえる土本の純粋な親和力の発酵が齎らすものだ。
一九六〇年の『不良少年』ロケで訪れた横須賀(私は『海壁』で滞在中)での出会いがそもそもの彼とのつきあいのはじまりとなる。翌年お互いのテレビ作品のオクラ入りもあって「青の会」がはじまった。その彼が映画作家としての出発をくっきりと印象づけるのが六三年の『ある機関助士』であった。そして『ドキュメント路上』『留学生チュア
スイ リン』。六八年には合作映画『キューバの恋人』で私は土本にむりやり懇願して製作をやってもらい、彼を窮地に立たせたことがあった。しかし土本は私を赦した。そして彼はめげなかった。七一年に『水俣−患者さんとその世界−』を、さらに戦後ドキュメンタリーの記念碑的作品『医学としての水俣病−三部作−』を完成させた。私は穢土にあってなお涅槃を渇仰してやまない一人の求道者の魂をその端倪すべからざる道程に重ねる。 |
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土本典昭の新作に『みなまた日記』がある。遺影蒐集の日々みずからビデオにまわしたものを十年後にまとめた。水俣への初心から今日にいたる土本のひたむきな長征の現在地を私達は垣間みることができるだろう。このフィルモグラフィ展ではさらに水俣にとどまらない多様な作品が開示される。土本典昭の映画遍歴は屈強で心やさしく卓抜な映画精神に充填されている。 |
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◇主催・お問合せ
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