作家名

写真  松本ワールドを探る手がかりは、「時計」ではないか。彼は一日中、時計を見ている。部屋にいる時は目覚まし時計を、お風呂や食事の時は、腕時計から目が離れない。作業へ行く時も外出する時も、鞄の中に目覚まし時計を入れて歩く。時計で時刻を確認しているのだろうが、自分で針を動かしているので、その時計は標準時刻を告げていない。だから、施設の日課に支障を来たすこともしばしばだ。

もちろん、絵を描いている時も、時計を見ている。

 少し前までは時計がモチーフといった感じで、時計を見ては描き、描いては見るというパターンだったが、最近はずうっと時計を見続け、手だけが、紙の上を動いている。凝視している時計と、描かれた作品の、相互関係を探ることは困難だ。いま見ているものを描く、それが当たり前と私たちは思い込んでいるが、松本さんには、その方程式が通用しない。

 しかも最近の彼は、どうも描くことに興味がないようにも見える。しかし、だからといって、彼の創作意欲の源泉が枯渇したと判断するのは正しくない。以前彼が陶芸班に属していた頃、こんなことがあった。陶芸班で彼は、石こうでつくられた型の中に粘土を詰める、型押し作業に従事していた。芸術とは縁遠い作業だ。彼の傍らでは、芸術的なオブジェを制作している人が何人もいるのに、彼は型押しで箸置きをこつこつと生産していた。

 「そんなことはやめて、こうやって楽しい物を創ろうよ」と、著名な陶芸家が誘っても、彼は頷くだけで、相変わらず箸置きを生産し続けていた。そんな時間が長く流れた。彼は創作活動を始めないのだろう、と周囲の人たちはあきらめた。

 ところが翌年、正月休みが明けた最初の日。彼は、型押し作業を自分から停止し、突然オブジェを創り始めたのだ。
 ここに、松本孝夫さんの「時計」がある。ただぼんやり見ているのではない。

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