 |
 |
 |
韓国で多くの人々の心を震わせ、No.1ヒットを記録した本作は、同じく韓国でもっとも売れている映画雑誌「CINE21」10周年記念号で過去10年の映画ベスト1を受賞。またロバート・レッドフォードが主宰するサンダンス映画祭での「表現の自由」賞をはじめ世界の数多くの映画祭でも高い評価を受けた、珠玉のドキュメンタリーである。
公開を熱望する各界からの声が実を結び、いよいよ日本初上陸となる。 |
 |
 |
キム・ドンウォン監督が12年をかけて追い続けた、「北のスパイ」と呼ばれた人間味あふれる老人たちのドラマは、その真実だけで人は深く感動することができることに気付かせてくれる。韓国のドキュメンタリー映画が素晴らしいのはなぜか。それはこの映画のように、悲しくても心から信じられるものがあるからなのだ。
30年以上ものあいだ囚われ、歴史に翻弄された老人たち。家族や兄弟たちとも会うことが出来ず、釈放後も韓国社会の中で、孤高で複雑なその人間性を守り通してきた人たち。キム・ドンウォン監督は、カメラで寄り添いながら、彼らの純真な心から、涙で磨かれた宝物を受けとっていく。12年間の長期取材は、老人たちの北朝鮮への送還で中断する。生きている間には二度と会えないだろう老人たちは、ビデオレターで、キム監督を息子のように感じていたと告白する。キム監督は再会をあきらめ、ほんとうの父親のような彼らの姿を胸に、映画の編集を始めるのだった……。 |
 |
 |
『送還日記』の制作期間は12年。その間撮影に費やしたテープは500個を上回る。初期のハイ8(Hi-8)ミリを始めとしてユーマチック(U-matic)やVHSまで含んだ500個以上のテープにはおおよそ800時間を越える元長期囚たちの映像が収められた。これは韓国映画史上明らかに未曾有の記録だと言えるだろう。また、2000年9月“北”へ送還された63人の元転向長期囚たちの収監期間を合わせると2045年というものすごい数字が出てくる。彼らは若さの盛りに逮捕され、1坪にもならない監房の中で30年以上の歳月を送ったのである。さらにいまだ送還されない長期囚たちの収監期間まで全て合わせると1万年以上の苦痛の歴史となる。 |
 |
 |
現代韓国の記録映画を代表する“プルン映像”のキム・ドンウォン監督は一般的にドキュ1世代と称され、韓国現代史の桎梏に映画を通じて強力な問題を提起しながら良心の声を明澄に発する作品群を作り上げて来た。キム・ドンウォン監督以後韓国のドキュメンタリー作家たちは社会的、政治的な不幸が如何にして個人の苦痛へと転化されてきたのかという問題に真摯に取り組みながら加工されない真の感動の瞬間を捕捉して来た。
1992年当時、みずから貧民街に入り都市貧民の生活に照明をあてていたキム・ドンウォン監督はおもいがけず非転向長期囚であった二人の老人と知り合うことになり、そのことがキッカケとなって10余年の歳月に渡り『送還日記』を制作し、完成させた。こうして世の中に出た『送還日記』には当然キム・ドンウォン監督のドキュメンタリストとしての10年を超える苦悩と実践が余すことなく盛り込まれており、その為この作品は彼のフィルモグラフィーにおいてはもちろんのこと、韓国のドキュメンタリー映画史をひっくるめて最も重要な作品と評価されるに至っている。 |
 |
 |
『送還日記』は韓国で始めての本格的なオーテュール・ドキュだ。全世界的な私的ドキュメンタリーの熱風と共に浮かび上がって来たオーテュール・ドキュは、「auteur」
が「作家」を意味することから分かるように監督が視線や主観を積極的に露わにするドキュメンタリーと説明される。重ねて言えば、ドキュメンタリーの宣伝ないし教育的機能よりも監督と対象が結ぶ関係に焦点を絞り、そこから醸し出される監督の心理や価値観の変化を率直に表わして行くということである。このような方式は集団より個人の変化が優先させられねばならないという信念から出て来たものであり、観衆により直接的な感動を与えることになる。『送還日記』はキム・ドンウォン監督のナレーションが映画全篇に敷かれた自己告白のようなドキュメンタリーである。始めて“スパイ”に会った時の不馴れさと怖さ、彼らと親しくなりながら感じた心の葛藤、そして最後には別れの切なさ…、こういったものがこの映画には監督自身のナレーションと共に率直に表れている。 |
|