photo
イベント&ニュース 이벤트&뉴스 解説 해설 物語 줄거리 登場人物 등장인물 監督紹介 감독소개 予告編 예고편 批評 비평 上映情報 상영정보 リンク 링크
송환 送還日記 REPATRIATION ハングル語ページへ
批評 비평
『送還日記』の金東元監督を羨むある歴史学者より 韓洪九(歴史学者、聖公会大学校教授)
密かに転向させられたわたしたち わたしが『送還日記』を見たのは3月11日の夜のことだった。弾劾案が発議されてはいたが、その他の市民と同じように「まさか」と思いながら映画を見て、遅くまで飲みながら映画の感動を楽しんだ。次の日に原稿を書いて「シネ21」に渡すことになっていたのだが、実際に弾劾案可決のニュースに接してみると『送還日記』で文章を書くのが少々悠長なことのように思えもし、歯軋りをするような思いに到底じっとしていられず弾劾についての文章を書いた。だが時が過ぎるほどに『送還日記』こそこの弾劾政局において見るべき映画なのではないかという気がした。弾劾案に賛成した議員たちのなかにかつては悪くなかった人たちが多かった。彼、彼女らはどうしてそんなところまで行ってしまったのか?
 どうして彼、彼女らだけだろうか?映画のなかで「六百回までは数えた」というチン・テユン船長の独白が鳥肌が立つほどに伝えてくれるように、転向工作の暴力性は本当に殺人的だった。その暴力の前に膝を屈したのなら、それでもいつどこでそうしたのかはわかるのではないだろうか?わたしたちは、既に密かに全く暴力的でないやり方でわたしたちの日常のなかに入り込んだ転向工作にみなが膝を屈したのではないだろうか?若き日の夢を抱いて生きていく人がどれほどいるだろうか?弾劾の先頭に立った民主党のある議員が詩人であって、彼の詩集のタイトルが『去りし日の夢がわたしを押してゆく』であるという事実に痛む心がもう一度疼きだす。『ペパーミントキャンディ』でのように、あれほどにも凄絶に壊れた後になってから走ってくる列車の前で「俺は帰るぞ!」と叫ばなければならないのだろうか?
 『ペパーミントキャンディ』のキム・ヨンホはそれでも自分の帰るべきところを知っていた。キム・ヨンシクさんのように強制転向を強いられ、その取り消しを求める人や、金南柱詩人のように「このくるおしい青春」に「重要なのは/生き残ること」であると歯噛みしつつ「わたしの血、わたしの剣、わたしの歌」を守り抜いた人々、彼/彼女らは傷ついた体で苦しみつつも「死ぬ前に歩まねばならない道」を失わなかった人々である。しかし大部分の転向者たちはそうではない。傷を抱えて永い沈黙に陥るか、非転向者たちが傷を抱き取ってくれないからと当初のすまなさを憎しみに変えもする。多くの人々は「二十代で社会主義者にならないものは心がない。三十代で社会主義者でいるのは頭がない」という狡猾な言葉で優雅を気取り、自分たちの転向を合理化する。立場を変えて唾棄し、自身がかつて情熱を捧げていたところに火を放つものも数知れない。転向工作は殺伐とした物語であるが、それを勝ち抜いた人々の物語は暖かく響きあうものがある。あの連中がねじ伏せようとしたのは夢だけでなく夢を見ることのできる心だった。奪われた夢はまた見ればいいだけのことだが、夢見ることのできる心さえも奪われたなら、ずっと夢を見ることはできない。転向書が「たかが紙切れ一枚」ではありえない理由もここに見出すことができる。
 百歳近くなり紙切れのように軽くなった母が四十五年ぶりに釈放された七十を越えた息子に会って最初に「お前は大人の言うことを聞かないから」と軽く叱りつける場面ほどに劇的で、韓国的で、これ以上に現代史の傷を見せてくれる場面をわたしはまだ見たことがない。しかし伝統的な昔話なら、二人の母子がこうして出会い幸せに暮らしましたとさ、と終わるところだろうが、韓国の現実はそうではなかった。他の家族は母が死んでもキム・ソンミョンさんには連絡をせず、墓さえも教えてはくれずにキム・ソンミョンさんはただ墓地のある山の近くをうろうろするばかりで母の墓に一杯の酒も供えられないまま送還の途に着かねばならなかった。
『送還日記』は主体的に転向を拒否した「非転向」と、未だ転向していないという−ゆえに依然として転向工作の対象である−「未転向」の違いをきわめて熱心に見せているが、一部のメディアはいまだに未転向という言葉に固執している。インターネットで検索してみたところ、ある記者は『送還日記』を紹介しつつ、「未転向」長期囚の物語を撮った作品であると堂々と書いている。怠慢ゆえの失敗だろうか、それとも確信犯の素行だろうか。『メメント』のような作品のシノプシスが出てくる数十年前に、転向工作に立ち向かって自分の体にガラスの破片で遺書を書かなければならなかったソ・ジュンシクさんが生きて出てきて人権運動を始めてから十年を越えても、転向制は韓国に存在しないと政府が公言してから数年が過ぎても、ソン・ドゥユル教授は依然として転向しなかったという理由で解放後最大のスパイと決め付けられている。
 その昔、『スト前夜』を作り、後に明フィルムの製作者となったイ・ウン監督は、映画人として自分がコンプレックスを感じる人が二人だけいるが、国外ではケン・ローチで国内では金東元であると語っている。現代史を大衆に分かりやすく伝えるための書き方を模索してきたわたしもやはり『送還日記』を見て本当に羨ましかった。『マルチュク青春通り』とは比較にもならないほどに残酷であった物語を、どんなコメディよりもおもしろく、どんなドラマよりも人間臭く、どんなスペクタクルよりも人を引き込むように作った彼の腕前が本当に羨ましかった。高銀詩人の『万人譜』のようにチョ・チャンソンさんだけでなく、他のおじいさんたちを主人公にした作品が続けて出てくることを望んでやまない。
『シネ21』446号(2004年4月)
前のページへ
← HOME ↑ PAGETOP
image Copyright (c) 2006,SIGLO Ltd. All rights reserved. SIGLOホームページへ