
ユダ・シャウール(元将校)
「多くのイスラエル人は『セキュリティー(治安・安全保障)・セキュリティー』と口を揃えて言います。自分たちの国を守らなければならない、と。しかしこの国がまもなく、まともな国でなくなってしまうことに気づいてはいない。私たち皆の “内面” が死滅しつつあるのです。社会の深いところが死んでしまいつつあるのです。それは ここイスラエルで 社会と国の全体に広がっています。
私は世界のあらゆる人びとにこう期待しています。ユダヤ人にはヘブライ語の諺で『他人の過ちから学べ。すべての過ちを犯す時間はないのだから』というのがあります。イスラエルのことだけを語っているのではないのです。世界のどこかを占領しているあらゆる軍隊が同じ過程をたどることになります。なぜなら、“占領”をし続けるには、他の方法などないのですから」

アビハイ・シャロン(元兵士)
「平日はトルカレムのような占領地でAPC(装甲人員輸送車)を運転してパレスチナ人の車を踏み潰して走っていました。単に楽しみのためです。車の上を走るというのは面白いものですから。そんな自分が週末の休暇にイスラエル内を車で走るとき、通常の運転ができると思いますか。赤信号でちゃんと誰かの後ろにじっと止まって待っていると思いますか。できるわけがありません。わかってもらいたいのは、占領地で兵士として任務に就いている『アビハイ』という自分と、休暇で帰ってきたときの『アビハイ』は、同じ人間だということです。つまり兵士たちは占領地から、暴力や憎悪、恐怖心や、被害妄想などをすべて抱えたまま、イスラエルの市民社会へ戻ってくるということなのです」

ノアム・ハユット(元将校)
「私は、その朝の光景を今でも思い出します。軍のブルドーザーがオリーブの木々を全部破壊した後に、80歳ほどの老人が50代の息子そして孫たちと破壊された畑にやってきました。その前夜にすべてのオリーブの木々が破壊されてしまったことを、この家族はまったく知りませんでした。畑の木々が切り倒されるということが農民にとってどれだけ辛いことか、農村出身の私にはそれがわかっていました。そのオリーブの木々はその老人の父親か祖父が植えたものなのでしょう。それは単に日々の糧を得るためのものではなく、彼らの“人生”そのものを失うことだったのです。イスラエル国民はラジオで『イスラエル軍が入植者の通行する道路の安全を確保した』というニュースを聞くことでしょう。それは理屈にかない、道徳的にも何の問題もないように聞こえます。しかし、それはパレスチナ人の生活を破壊することだったのです。これが、“占領”とは何かを私が実感する最初の体験でした」

ドタン・グリーンバルグ(元兵士)
『母は『(占領地での兵士たちの任務は)とても大変』といいます。しかし兵士たちにとってそれほど大変なことではありません。これが重要なことです。兵士が占領地で“怪物”になるのはとても簡単なことなのです。
兵士たちは心理療法士が必要なのではありません。『このような状況のなかでは心理療法士が必要だ』と言うのは、『イスラエル内は平穏な状況なのに、占領地でそういう任務をしているあなたたち兵士のことを考えると、とても辛い』と言うようなものです。違うのです。あなた方自身を“鏡”に映し出し、見つめなければいけない。あなた方は自分自身のあり方を心配しなければならないのです。なぜなら私たちは、あなたたちイスラエル国民によって送られた“兵士”なのです。単なる息子ではなく、“あなた方が送った兵士”です。あなた方が“敵”だとみなすパレスチナ人に対する、あなたたちの“拳”なのです。イスラエル政府の“拳”なのです」

ラミ・エルハナン(「沈黙を破る」顧問)
「イスラエル国民が理解できないでいることは、占領地の350万人のパレスチナ人を制圧し、片隅に追いやり、どんどん押し込んでいけば、彼らは噛み返すということです。それは世界中のどの歴史にも共通する普遍的な事実です。そんな彼らを『テロリスト』と呼ぶ人もいれば、『自由の戦士』と呼ぶ人もいる。どんな名前で呼んでもいいのです。しかし、それが現実なのです。
彼らは『テロリスト』かもしれない。同感です、テロリストが私の娘を殺したのですから。ではそのテロリストにどう対応するのか。テロリストを完全に消滅できたという実例があるのなら、一つでも見せてほしい。彼らの自由への願いを消滅できたというような、喜んで占領を受け入れているというような実例をです。ではそのテロリストとどう闘うのですか。どうすることが“賢い”闘い方なのでしょうか。すべての争いの解決には、結局、話し合うしかないのです。ハマスであろうと、PLOであろうと、敵と話し合いをするしかないのです」