「戦車は家の10mほど先に止まっていました」と、3人の幼い娘の父親が2009年1月7日の昼間、ガザ北部の村に起こった事件を語った。「戦車から1人の兵士が降りてきて、突然、白旗を挙げていた母と3人の娘を撃ったんです。4人は身長も年齢もそれぞれ違っていたのですが、4人全員が真っ直ぐに胸を撃たれていました。7歳のサアドは12発撃たれ、2歳のアマルは10発、4歳のスメルは3発撃たれ、私の母も3発撃たれました。2歳の娘の傷口から内臓が飛び出していました」。
2008年12月下旬から3週間続いたイスラエル軍のガザ攻撃の現場を取材しながら、イスラエル兵士たちによる住民虐殺の証言を数多く聞いた。イスラエルの街角で見かける、まだあどけなささえ残る若者たちがいったん将兵となって占領地や戦場に立つと、冷酷な“占領軍”“侵略軍”の姿に一変する実態を、私は改めて思い知った。
イスラエルによる“侵略・占領”を語るとき、パレスチナ側の被害の報告だけでは一面しか伝えたことにならない。“侵略・占領”する側の動機や行動原理、心理状況をも伝えてはじめてその実態が重層的、立体的に見えてくる、と私は考えている。
20数年にわたって“パレスチナ”を伝え続けてきた私が今、“侵略・占領する側”のイスラエル将兵の内面に迫ろうとしたのはそういう動機からだった。その困難な作業を可能にしてくれたのが「沈黙を破る」の元将兵たちである。
しかし彼らの証言は、日本人にとっても「他人事」ではない。元イスラエル軍将兵たちの証言は、日本人の “加害の歴史”と、それを清算せぬまま引きずっている現在の私たち自身を見つめ直す貴重な素材となるからだ。つまり、元イスラエル軍将兵たちの行動と言葉を旧日本軍将兵の言動と重ねあわせるとき、それは“遠い国で起こっている無関係な問題”ではなく、かつて侵略者で占領者であった日本の過去と現在の“自画像”を映し出す“鏡”なのである。日本人である私が元イスラエル軍将兵たちの証言ドキュメンタリーを制作する意義は、まさにそこにある。
しかしこの映画は、作り手の私のそんな意図を越えて広がっていくに違いない。元将兵たちの証言に、アメリカ人はベトナムやイラクからの帰還兵を想うだろうし、ドイツ人はアフガニスタンに送られた自国の兵士たちと重ね合わせるだろう。「沈黙を破る」の元将兵たちの言葉が、それだけの力と普遍性を持っているからである。
監督プロフィール

土井敏邦(DOI Toshikuni)
ジャーナリスト
1953年、佐賀県生まれ。1985年よりパレスチナ・イスラエルの問題にかかわる。17年間にわたって映像による取材を続け、「パレスチナ記録の会」とともに、2009年、『届かぬ声―占領と生きる人びとー』全4部作を完成させる。ドキュメンタリー映画『沈黙を破る』は、その第4部にあたる。
ドキュメンタリー映像『ファルージャ 2004年4月』のほか、NHKや民放で数多くのドキュメンタリー番組も手掛けている。主な著書に『占領と民衆―パレスチナ』(晩聲社)、『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』、『沈黙を破る―元イスラエル軍将兵が語る“占領”』(いずれも岩波書店)、『米軍はイラクで何をしたのか』、『パレスチナ ジェニンの人々は語る』(いずれも岩波ブックレット)など多数。