鯨捕りの海
どんな映画か
監督 梅川俊明
スタッフ
解説
捕鯨の背景
撮影日誌より
捕鯨に生きる
SIGLO
 監督 梅川俊明
 
 写真
梅川俊明
鯨捕りの海を完成させて

私はこの映画でありのままの捕鯨を見たかったし見せたかった。
鯨という言葉から何を想像するかは各人によって様々だと思う。しかし、これが捕鯨となるとあまり様々ではないような気がする。鯨を捕ることの是非をめぐり、人間が野生動物とどのように関わっていくかの議論は今日も続けられているが、私は捕鯨そのものに想像力をもてなければと考えていた。捕鯨は文字通り鯨を捕ることを意味するが、日本の捕鯨はそれだけにとどまっていなかった。鯨の大きさや多岐にわたる用途から、数々の職業が生まれ、海の恵に感謝する芸能や道徳が育まれた。これらはひとつの慣習となり、人々の生活に深く根ざし、共同体を支えていた。人と人の間に鯨が存在していた。
しかし、モラトリアム(商業捕鯨の一時停止)以降は、捕鯨を中心とした共同体の衰微が目立つようになった。今日では、沿岸小型と呼ばれる船が五隻操業しているだけである。私たちが撮影した第三十一純友丸の砲手は「私たちは生き物を殺している。でも、そのことをいつも忘れないようにしている」と雑談の折りに、私に話してくれたことがあった。その話を聞いたときに、私は人間が他の生き物を殺して食べることなしに生きてゆけないことをあらためて思い、捕鯨の仕事に従事する鯨捕りにこそ、生命の尊厳が宿っていると確信した。
私たちは彼らの仕事場である捕鯨船に乗り、人間と鯨がぶつかりあう瞬間を待っていた。そこには、ありのままの捕鯨があった。
   
  
プロフィール
1964年福島県生まれ。
1982年福島県立湯本高校卒業。ブレッソンに師事するためフランスへ渡るが、10ヶ月後に帰国。
1992年「橋のない川」(監督/東陽一)の製作部としてシグロ入社。
1993年長編記録映画「あらかわ」(監督/萩原吉弘)で助監督をつとめ、フリーとなる。
1994年「もうひとつの人生」(監督/小池征人)で助監督をつとめる。
1996年「絵の中のぼくの村」(監督/東陽一)で助監督をつとめる。
1998年「鯨捕りの海」で監督となる。
   
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