![]()
|
| |||||||||||||||
| ||||||||||||||||
![]() | ||||||||||||||||
| 5月1日、鯨漁解禁の日を待って出漁する第31純友丸。砲手の和泉をはじめ6人の鯨捕り達は、漁期の終わる10月まで船上で共同生活を続けながら鯨を追うことになる。古くから捕鯨の町として栄えてきた和歌山県太地町の漁港を基地に、黒潮に乗ってやってくるゴンドウ鯨をねらう小型捕鯨船第三十一純友丸。捕鯨は危険の伴う仕事だ。6人のチームワークは緊張に満ち、誇り高い鯨捕り達の顔は神聖にさえ見える。 6月、映画は北太平洋でのミンク鯨の捕獲調査に同行する。キャッチャーボートによる捕獲作業や母船での科学的調査とともに、鯨の解体作業をつぶさに記録する。商業捕鯨の時代から培われてきた解剖の技術が見事だ。鯨はベテランの包丁方の手で素早く解体され、区分けされてゆく。生きものを殺して食うという食の本質がそこから見えてくる。 ノルウェーのロフォーテン諸島でも、北海でのミンク鯨漁が解禁を迎えていた。出漁前のフィヨルドの入り江での捕鯨砲試し撃ち。親子代々鯨捕りだった元砲手のエルンストは、反捕鯨の運動の高まりによって生活を奪われている現状を語る。彼らにとって捕鯨は伝統文化であり、また鯨肉は貴重なタンパク源でもあるのだ。 夏、純友丸はツチ鯨を追って千葉県和田浦に移動していた。10メートルをこえるツチ鯨との格闘。50ミリ砲の一番銛で鯨を射止め、二番銛でとどめを刺す。引き寄せた鯨が暴れ出すことがあるからだ。捕鯨はまさに海の狩猟なのだ。 捕鯨を通して生命の尊さを静かに語る砲手和泉。第三十一純友丸は、捕獲枠の最後の一頭であるツチ鯨を求めて、夜明けの海へ再び出港してゆく。 | |||||||||||||||
↑ページのトップへ | ||||||||||||||||
| ||||||||||||||||
![]() 現在棲息している鯨はイルカ類を含めて80種以上(イルカは体調4メートル以下の鯨類のこと)。その中で、絶滅の危機にあるといわれるシロナガス鯨などを含む15種類ほどの鯨が、IWC(国際捕鯨委員会)の取り決めによって1930年代から順次捕獲禁止になっている。 現在日本の沿岸で捕獲しているゴンドウ鯨やツチ鯨はIWCの管理外であり、日本が独自に捕獲枠を決め捕鯨を続けている鯨である。 この映画の撮影の年、1997年の捕獲粋はツチ鯨54頭、ゴンドウ鯨類120頭だった。また、南氷洋と北太平洋ではミンク鯨の目視調査、捕獲調査が続けられている。その結果、ミンク鯨は100万頭ちかく棲息していることが、IWCの科学委員会で確認されている。こうした調査で捕獲した鯨の肉などは、無駄なく有効利用することが国際条約で決められている。 | ![]() | |||||||||||||||
↑ページのトップへ | ||||||||||||||||
| ||||||||||||||||
![]() |