上映スケジュール この映画について 制作にあたって 監督から オンライン販売
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制作にあたって
チョムスキー氏からの返信
映画はこうして始まった
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あなたの手紙とユンカーマン氏の手紙を、興味深くそして感謝とともに読みました。すでにご存じかもしれませんが、似たような意図で製作された映画があります。約10年前に、マーク・アクバーとピーター・ウィントニックによって作られた『マニュファクチュアリング・コンセント』という映画ですが、これは、世界各国で観られている作品です。国際映画祭でもいくつかの賞を受賞しており、また多くの国の国営放送局で放映されているほか、ビデオでもかなり販売されたとのことです。彼らは数年にわたって私を取材し、世界各地での講演やディスカッションの場を数多く記録し、またインタビューの現場や批評、コメントなどを映像に収めてきました。おそらくご覧になったことがあるでしょう。彼らの焦点は東チモールとメディアについてでしたが、その他の問題も題材としていました。

原則として私はあなたの企画に関心を持っていますが、現実的にはそう易しいことではありません。もっと早く連絡をとりあえなかったのは残念です。

過去数カ月のあいだに、大学やその他の場所において、私は数々の講演を行ってきました。そのうちの多くは録画されています。その映像がお役に立つかどうかわかりませんが。今後は、ニューヨークのタウンホールにおいて、FAIR(メディア批評団体)――募金団体だと思いますが――のための講演が次に予定されています。その後、ブラジルとトルコにも講演に行く予定です。(トルコでは、トルコ政府のクルド民族に対する弾圧についての私の文章を出版した人が、民主的なNATO連盟における反逆罪とみなされており、その裁判に出席するという目的もあります。)3月にはカリフォルニアでもいくつかの講演が予定されています。この近くの地域でも講演が予定されていることは確かですが、詳細は今すぐはわかりません。

大体の場合私の講演はインディペンデントの映像作家たちによって記録され、販売されています。もし興味がおありなら、これらの映像は入手可能だと思います。高画質の映像もあれば、デジタル映像もあると思いますが、私自身は詳しく分かりません。

インタビューをセッティングするのは易しいことではありませんが、不可能ではありません。私のスケジュールは非常にタイトで、かなり先まで細かく埋まっています。ただ、新しい予定を追加することは可能ではありますが、残念ながら私のオフィスでの取材に限られます。多忙のため、私はどこにも出かけていく時間がなく、テレビ局に行くのさえ困難な状況なのです。これも例外はありますが、やはり困難でしょう。先々まで、予定が非常に細かく組まれています。

可能性をさらに探ってみたいと思っています。大変興味をそそられています。

ところで、新聞や知識人たちによる雑誌で書かれていることは、こちらの世論の内容について非常に間違った印象を与えています。大学の中だけではありません。今回のケースでは、この200年間で初めて合衆国本土が――さらには悪意を持って――攻撃されたにもかかわらず、思いつく限りの過去のどんな軍事行動の比較可能な段階と照らし合わせても、戦争反対の声はこれまでで最も高いと言えるでしょう。

私のように話のできる立場の者には現在依頼が殺到しており、本当にそのごくごく一部しか受けることができない状態です。そして引き受けた講演は、大抵は非常に多くの観客――だいたい何千人規模ですが――を対象としており、その大部分が大変関心が高く、また支持をしてくれています。知識人の意見が大変に対外強硬主義的で、そこからの逸脱を全く許さないものであることは事実ですが、こういうときは大体において常にそういう場合が多いということを念頭においたほうがいいでしょう。

インドシナにおける戦争では、長年にわたってそのような傾向がより一層強かったし、また世論の反戦意見が頂点に達したときでさえ、知識人の中には道義的な反戦論者――私の意味するのは、実業家たちのあいだでみられた「戦争は失敗で金がかかり過ぎている」という理由での反戦論者をこえるもののことですが――は皆無でした。この事実は容易に提示できますが、知識人たちの論評では、常に誤って伝えられています。彼らは、異なったイメージで自分たちをとらえたいのです。

これまでの歴史をみてもそうでした。一例をあげると、100年前に合衆国がフィリピンを占領した折、何百何千の市民を殺害し、恐るべき戦争犯罪をやってのけたことに対して、反対をとなえる知識人が何人かいました。その内で最も注目に値しまた有名なのはマーク・トゥウェインですが、彼の鋭い批評の数々は、90年後の1992年になってようやく大衆の目に触れることとなったのです。

今現在、知識層の雑誌に書かれていることは――自由主義左派のものは特にそうですが――まったく普通のことですが、大衆の意見とは無関係なのです。大衆の意見を操作しようという目的があるとき以外は、ということですが。

  2002年1月8日 ノーム・チョムスキー       
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