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この映画の企画は、きわめて個人的な動機から始まりました。2001年9月11日アメリカでの同時多発テロ事件の衝撃がきっかけでした。テロそれ自体もショックでしたが、私にとっては、その後のアメリカによる軍事的対応と日本政府の盲従ぶりの方が、より衝撃的であり悲劇的なものに感じられました。
テロリズムへの闘いという“大義”を掲げてのアフガニスタンへの爆撃と同時に、「我々の側につくのか、あるいはつかないのか」というブッシュ政権による二者択一を迫る思考の単純化という暴力は、まさに私自身にも向けられたものであり“私”の存在をさえ否定されかねないものと感じました。
そうした時に、ノーム・チョムスキー氏の9.11に関する発言を知ることになりました。私にとって彼の発言はきわめて刺激的であり、その説得力はまさに乾いた大地に沁み込む慈雨のようでした。
9.11同時多発テロは何故起こったのか、その背景として過去アメリカがどれほど強権的な暴力を、むしろ弱者であった貧しい国々に対して行使してきたかという事実を説得力のある情報として示し、比較にならないほど大きなテロリズムを行なってきた国家としてのアメリカ像を描いてみせました。
「今私に出来ることは何か、映画のプロデューサーとしてやるべきことは何か」
という自問に対する答えはひとつでした。ノーム・チョムスキーのインタビュー映画を作りたい、そして映画を通してチョムスキーの発言を、彼の誠実さとともに伝えたいというものでした。
私と同じように9.11以後の事態を憂えている人々は数多くいると確信しています。
この映画は、これから私たちが何をすべきかということについて答えを提示するものではありません。しかし一人ひとりがこの問題について考える上で、まず人々の“知ることの力”に関与することができるのではないかと願っています。
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プロデューサー 山上徹二郎 |
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